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中国、長江の上流である金沙江の両岸は切り立つ崖になっており、長年複数の「溜索」と呼ばれるケーブルウェイが渡っていました。川面まで300メートル以上もあり、見ているだけでもハラハラするような交通手段です。
しかし近年になり、公共事業で「溜索」は次々に橋に置き換えられました。今回South China Morning Postでは、最後の「溜索」の操業者と橋の建設者の一人である息子さんを取材。厳しい自然環境の中での近代化の過程を追ってみましょう。
この峡谷は深い
この峡谷を渡っているケーブルウェイは、四川省布拖県馮家坪村と雲南省巧家県鹦哥村を結ぶ、中国で「溜索」と呼ばれている乗り物です。眼下にみえるのは、長江の上流である金沙江です。
鹦哥村の約2000人の村民の皆さんにとっては、長年通勤・通学や通院の行くための交通手段だったとのこと。
このケーブルウェイを21年に渡り操業してきたJiang Shixueさんによると、毎日朝から晩まで、100回以上ケーブルウェイを動かすこともあるのだとか。唯一の交通手段ですから、Shixueさんも責任重大です。
ケーブルウェイができる前は、村には道すらなく、あるのは猿の通り道だけだと言われていました。断崖絶壁と呼べる場所を歩き、とても穏やかとは思えない金沙江を小舟で渡るしかなかったそうです。
しかし2018年、ついに念願の「金沙大橋」が開通しました。そしてなんと、その橋の建設に関わっていたのは、Jiang Shixueの息子さんの、Jiang Kaixiangさん。
Kaixiangさんは小学校で河北省にある安済橋のことを学び、この地域にも橋ができれば暮らしやすくなると思ったそうです。大学では道路工学を専攻し、卒業後は地域の運輸局に勤め始めたKaixiangさん。実家近くに出来た金沙大橋も、この運輸局が建設したものです。
「橋のおかげでより頻繁に実家に帰れます」と語るKaixiangさんですが、村の人々にとっての橋は、もちろんそれ以上の役割を果たしています。車で移動ができなかった頃は、馬を使って荷物を運ばねばならなず、家を建てるのに3年かかることもあったと言います。今ではそのような不便も解消され、橋は村の発展に寄与しています。
ケーブルウェイはお役御免かというと、そうでもありません。最後の「溜索」として、今では観光客を楽しませています。全長470メートルとのことですが、渡り切るのに何分ぐらいかかるのでしょう? 考えると怖くなります。
息子さんのかけてくれたくれた大橋が誇らしいでしょうが、Shixueさんには、まだまだお元気で活躍してもらわなくてはなりませんね!
この動画に寄せられた海外の人たちの反応
●この男の人、本気で橋を建てるために道路工学を勉強しに行ったんだ。立派だなぁ。↑彼らは貧しいかもしれないけれど、最良の育ち方をしているよね。尊敬する。↑禹の治水以来の伝統さ。●ここの人たちは、今や子供たちにこう言えるね。「学校に通学ケーブルで通っていたんだよ」って。凄いのは、ほとんどの親と違って、これは誇張でも何でもないってとこだ。↑おじいさんは更に、ケーブルウェイの開通前は崖を伝って、急流をボートで渡ってた、って言ってたよね。恐ろしや。●ケーブルウェイに乗る人、勇敢すぎ。↑別に勇敢ではなくて、他に選択肢がなかっただけでしょう。↑乗り心地は悪いだろうなぁ…●社会の問題を解決し、人生の質を上げるためにはエンジニアになろう!●確かに観光客向けだ。ちょっと怖いけど、見ごたえのある眺望のはず。
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